柳ヶ瀬画廊

柳ヶ瀬画廊

創業大正8年
熊谷守一・香月泰男・藤田嗣治など
内外洋画巨匠作品取扱の老舗画廊

ブログ「絵画のたのしみ」

2022.01.29

《ブログ》新春逸品展は30日までの開催です

開催中の「新春逸品展」もいよいよ明日1月30日(日)までの会期となりました。
土曜日曜も通常通り開廊しております。
お時間ございましたらお出かけくださいませ。

引き続き下記の作家を展示しています。

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熊谷守一     黒田清輝     梅原龍三郎   中川一政

三岸節子     絹谷幸二     舟越桂       元永定正

里見勝蔵     須田国太郎   山口薫       山口長男

麻生三郎     脇田和       難波田龍起   浅野弥衛

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皆様の御清鑑を心よりお待ちしております。

 

柳ケ瀬画廊 市川瑛子

2022.01.24

《作品紹介》須田国太郎 油彩画 花 

柳ケ瀬画廊では新年恒例の「新春逸品展」を開催中です。

展示作品の中から、毎日1作家、お薦めの作品とともにご紹介しています。

画廊の入口に須田国太郎先生の花の油彩画を飾りました。
日本画壇に限らず世界の多くの国でフランス志向が強かった時代に、スペイン美術に注目し、また、京都に拠点を置いて日本における油彩画を画家として学者として追求しつづけた洋画家です。

須田先生は1891年に京都に生まれました。京都帝国大学(現在の京都大学)で哲学を専攻しながら、絵を描き、謡曲を学び、伝統的な文化のなかで成長していきます。なかでも美術にはとりわけ関心が強く、大学卒業後は関西美術学院に入り本格的に絵を学びはじめました。その後、28歳で渡欧すると、四年間の滞在期間にプラド美術館で模写をしたり、友人たちと欧州各地に写生旅行に出かけるなど、充実した日々を過ごします。
帰国後は母校の京都帝国大学などで美術史を講義して、主に学者・教師として活躍していましたが、友人の日本画家・神坂松濤先生の強いすすめで41歳のときに東京の資生堂画廊で初めての個展を開きます。すると、それを皮切りに独立展などの団体展での作品発表や個展の開催が続き、重厚な、けぶるような黒を基調とした作風で高い評価を受けるようになっていきました。

須田先生は著書のなかで制作にあたる気持ちを「ただ油絵具を与えられ、それでかくから油絵であるというだけなら単なる間に合わせである。画をかく材料は油絵具だけではない。〔中略〕日本油絵はどんな技法を見出してきたか。技法が先ずあって油絵をかいているのではなかろうか。〔中略〕それらは皆筆者の表現と一致するものであろうか。」と語っています。
日本的な油絵というと梅原龍三郎先生や岸田劉生先生が浮かびますが、おふたりが西洋からはじまり、次第に東洋的な要素を画面に入れていったことに対して、須田先生は最初から東洋の人として油絵具という素材に挑んでいった印象を受けます。そのため、黒という重苦しいと思われる色彩を用いていても、画面に暗さや影はなく、むしろ水墨画の余白の美のような、黒があってこそ光や形や色が見えてくる作品だなあと感じることがあります(*^^*)

今回展示している作品も、須田先生らしい黒の気配がありながら、可憐な花の姿が美しい作品です。
須田作品はあまり取り扱う機会がなく、久しぶりの展示になります。
ご興味ございましたら、ぜひご覧になってみてくださいませ。

皆様のお越しを心よりお待ちしております。

 

柳ケ瀬画廊 市川瑛子

2022.01.23

《作品紹介》山口長男 油彩画 ヴェネツィアン・レッド

柳ケ瀬画廊では「新春逸品展」を開催中です。

展示作品の中から、毎日1作家、お薦めの作品とともにご紹介しています。

山口長男先生のヴェネツィアン・レッド(赤茶色)の油彩画がはいりました。
ペインティングナイフで塗った質感が特徴的な、山口先生らしい作品です。

山口先生は1902年に裕福な貿易商の家に生まれました。美術評論家の方が、山口家が家から一昼夜を馬で走っても敷地から出られないという噂は本当かと尋ねたところ「馬は馬でも、小さなロバですよ」と苦笑したと伝わるように、屋敷だけで1000坪を越す大きなおうちだったようです。
十代のころから絵が好きで、1922年には東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学します。この年の美術学校は秀才揃いで、猪熊弦一郎先生、牛島憲之先生、岡田謙三先生、荻須高徳先生、小磯良平先生が同級生にいる世代でした。彼らは仲が良く、卒業後も上杜会というグループを結成し、切磋琢磨を続けます。スター揃いの上杜会については、昨年、豊田市美術館さんで「わが青春の上杜会 昭和を生きた洋画家たち」という展覧会が開かれたので、そちらでご記憶がある方も多いかもしれません。

山口先生はその後、フランス留学を経て、キュビスムに傾倒するなどして、1930年代後半より円や線といった記号的な形態の画面へと移っていきます。また、1950年前後を境に、それまでは色彩豊かだった画面から色数が次第に減っていき、ブラック、ヴェネツィアン・レッド(赤茶色)、イエロー・オーカー(黄土色)の三色へと集約されていきます。
マチエールについても、若いころは「重苦しい」と避けていたペインティングナイフによる複数回の厚塗りについて「養分になってゆく面があるはずですから、もうこれ以上いかないというまで繰り返し、充実が出るまで繰り返します」と触感的な面白さを見つけて採用していきました。

私がとても好きな山口先生のエピソードのひとつに、岡田謙三先生とのお話があります。
山口先生の初個展の会場に、当時、写実的な絵を描いていた岡田先生が来場されたときのお話です。
会場の窓から外を見ると、雨のなかで桃色の洋服を着た女性がバスを待っていたそうです。それを見た岡田先生が山口先生に「あの女の子を見て、どう感じるかね」と声をかけると山口先生はとっさに「僕は立ってるなという感じがする」と答え、それに対して岡田先生は「それが僕と君と違うところだな。僕は桃色がある、とまず思うね」と返したそうです。
山口先生の作品は、ぱっと見ると最初に重厚感のあるマチエールが目に飛び込んでくるので、色彩や質感について語られることが多いです。でも、このエピソードを読むと、実際に山口先生が大切にされていたのは「立っているなという感じ」だったのかなと思いました。

今回展示している作品は、ヴェネツィアン・レッドとブラックの作品です。
ペインティングナイフを用いたと思われるマチエールです。

お時間ございましたらぜひ実作品をご覧にお出かけくださいませ。
皆様のご清鑑を心よりお待ちしております。

 

柳ケ瀬画廊 市川瑛子

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