柳ヶ瀬画廊

柳ヶ瀬画廊

創業大正8年
熊谷守一・香月泰男・藤田嗣治など
内外洋画巨匠作品取扱の老舗画廊

ブログ

2025.05.10

《ブログ》硲伊之助展(アーティゾン美術館)(3/1~6/1)

柳ケ瀬画廊では常設展を開催しています。
熊谷守一の油彩画3点など近現代絵画15点を展覧中です。

さて、先日東京出張にあわせて久しぶりに東京駅近くのアーティゾン美術館に出かけてまいりました。画廊で主に扱う熊谷守一先生と同時代に、美術団体・二科会で活躍した洋画家です。

今回の展覧会では80点以上の硲作品とともに、
画家・陶芸家・執筆家・翻訳家・蒐集家・展覧会企画者など
幅広く多彩な硲の姿が伝わる展覧会でした。

メインビジュアルは油彩画《燈下》です。
渡欧中にマティスに出会い、師事したことが伝わる色合わせですね。
モデルになった石塚二味子は硲の最愛の人で、彼女が亡くなると墓の近くにわざわざ引っ越したほど愛していたといわれています。1941年、戦時下で描かれた一枚です。

展覧会ではまず硲の画業の変遷が紹介されていました。
硲の父は日本橋の店で番頭をつとめるかたわら、東武鉄道などに重油を納める石油商を営んでおり、かなりの裕福な家庭にうまれました。そのため、慶應義塾を中退した硲は、日本で絵画とフランス語を学ぶと渡欧し、現地の美術学校に通い、生涯「マティス先生」と慕うアンリ・マティスと出会い師事するという充実した画家人生のスタートを切ります。
渡欧時には同じ船に坂本繁二郎、林倭衛がいたそうで友人にもなっていたようです。
ヨーロッパゆかりの上記の作品などからは、瑞々しい若き日の硲の情熱が感じられます。

帰国後は指導者として東京藝術大学などで教鞭を執りつつ、画家としても春陽会や二科会に出品し、一水会の立ち上げにかかわるなど活躍します。
その活躍と共に多くの挿絵も手掛けました。上の写真は井伏鱒二の『仕事部屋』の装丁本と、井伏に宛てた手紙が紹介されていました。人物の衣服の表現の関係で日中のような画の仕上がりになってしまい申し訳ないという詫びの言葉が書かれていて、硲の人柄が伝わってくるようでした。
その後も多くの挿絵をはじめ、ゴッホの翻訳書を手掛けるなど幅広い仕事ができたのも、そうした人柄に色々な人が集まってきたからかもしれませんね。

帰国後の作品は装飾的な作品が多く並んでいました。
硲のいう「目を刺激する色、市内色、それらの強弱によって画面に描かれたものの位置づけを行うヴァルール(色価)」が感じられます。登場させる色、隣どうしに並べる色を考えて構成しているので、平面の画面が奥に奥に広がっていくようです。

また、硲は50代のころから作陶のために度々石川にわたり、67歳のときには加賀市に「硲三彩亭九谷吸坂窯」をつくるまでに熱中します。加賀温泉郷に硲伊之助美術館があるのですが、なぜ東京出身のはずの硲の美術館が加賀に或るのだろうと思ったら、このご縁なのですね。
1958年には荒川豊蔵らとともに一水会に陶芸部も設けたそうです。
加賀ということで、九谷焼の作品が多数展示されていました。

硲が慕った「マティス先生」の作品も展示されていました。
裕福な家庭に育った硲は滞欧中に多くの作品をコレクションし、ドラクロア、コロー、ルソー、そして慕ったマティスの作品を買い求めていたそうです。上の写真のマティス《青い胴着の女》も硲が購入し、二科会に展示された経歴があり、現在はアーティゾンミュージアム所蔵になっていろうです。
硲伊之助美術館が所蔵するマティスから硲に宛てた手紙も紹介されていて、改めてその人間関係に驚くと共に、硲がその後、日本で開かれるマティス店やピカソ展、ブラック展の企画に深く携わっていたことも紹介されていて驚きました。本当に多彩な活躍をした方だったのですね。

展覧会は6月1日までの開催です。
東京駅からアーティゾン美術館は徒歩7分ほどです。
東京にお出かけの際はお立ち寄りになってみてはいかがでしょうか。

また、柳ケ瀬画廊でも6月7日より硲と同時代を生きた近代画家たちの作品による「秀作鑑賞展」を開催予定です。こちらもぜひお出かけくださいませ。

 

柳ケ瀬画廊 市川瑛子

カテゴリー

最近の投稿

アーカイブ